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ごあいさつ

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総括施設長  藤木 充

出会いについて

これまでも、いろんな人と出会い、いろんなものを教えてもらった。
たくさんの同僚、先輩、それはそれはたくさんの人と出会った。そして今もたくさんの人とともに歩んでいる。
今、もう一度、ネットワーク、スーパーバイズの機能の必要性を認識することとなる中川さんとの出会いについて、当時の文書を書き起こすこととする。
中川さんは15年前の平成22年に現職のまま逝去。


確かな実践をするということ (文書は平成22年度付けです)

  ―― 中川雅夫さんから学んだこと、引き継ぐこと

13年前、大津では最初の、滋賀県では最後の知的障害に対応する入所生活施設としてステップ広場ガルは立ち上がりました。その当時としては先端の、全く新しい環境〔全個室・ユニット制、職住分離など〕や条件(毎日入浴・完全同性介護など)を「重度重介護」「(強度)行動障害」などの最も重度な障害者を中心とする入所者に対して実施する生活施設を選択しました。その生活創りの環境に対する志が高い分、様々な形での事件・事故など、通常の新規施設の立ち上がりの状況では収まりきらない大変さやしんどさが、職員にも利用者・家族にも、いっぱい、ありすぎるくらいに有り、表現が適切かはわかりませんが、座礁寸前の難破船のようではなかったかと思います。

たとえば、居室の鍵を利用者が持つことも、それを支える職員集団の集団的力量が伴わなければ、無断外出の頻発だけでなく男女間の人権侵害などの事件・事故を生むこととなり、「利用者を加害者にしない。利用者が人権侵害されることを許さない。」という、私たち職員の誓いをもおしつぶすこととなりました。そして、長い間、ガルは、圧倒的な低賃金、引き続く離職、諦めにも似た感情を醸成するほどの建物・設備の荒廃の中にありました。利用者や家族の心の痛みを想うと同時に、このような環境の中で呻吟する職員の姿を思い浮かべると、心塞ぐ想いです。

家族会の大変な応援や後援会にもお世話になり、建物・設備の大規模な改修に手がつけられたのは平成15年でした。「やっと、ここからやな」このときの感想です。その前から少しずつ取り組み始めていたホームヘルプにくわえて地域に出ることに取り組み、デイサービスや放課後支援、相談支援、そしてケアホームでの暮らしの支援が少しずつ形になり始めました。決して、ただ外に向けて広げるということでなく、今、自分たちが、本当に必要だと思う支援を切り開いていくのだという職員の気概こそが、すべてであったと思います。そして、おそらく、最も大きな分岐点になったのが「強度行動障害処遇事業」の受託と地域での実践を積み上げ協働をじつげんするネットワーク作りにあったのだと思います。

行動障害の処遇事業を始めたいのです、と障更相(滋賀県障害者更生相談所)に中川さんを尋ねた時、「これまでの強度行動障害の処遇事業のまま広げるのが良いとは思っていない」「強度行動障害の処遇をケースをとしてまとめて、他のケースに応用できるようにはなっていない」「施設内の処遇改善だけでしかないことやしなあ」等々、幾つもの否定的なことを挙げられた。何度か話をする中で、本当のところは「行動障害の処遇の困難さへ対応するには「覚悟」が必要なこと」や「施設内だけの対応では、限界があること」から、地域全体の処遇システムのなかに、専門機関として「強度行動障害処遇事業」を位置付け直し支援のネットワークをきちんと継続させること、が求められるのだということでした。

そして、本当に地域の機関や施設をつないで、役に立つ協働を実践する覚悟であれば、協力を惜しまない、と 話されました。事実、この後に立ち上げた「大津湖南行動障害支援ネット」の隔月の協議に、4年の間実際に参加され、地域の様々な情報や実際のケースについての過去情報今後の取り組みの方向について、いつもの、飄々としたスタイルで話をされていました。今思えば、発病された後、働きながら療養治療を続けられていた期間そのものだったようです。5年目に入ると参加されることが少なくなり、6年目の夏も過ぎた頃、中川さんの訃報に接する事となりました。

施設の中で支援を積み上げること。地域の中で、実際に障害を持つ人に活かせるものであること。地域全体の支える力を育てることが何より重要であること。たくさんの「想い」を笑顔と共にいただきました。

ネットワーク開始後の6年間は、それまでの「ステップ広場ガル」の「働き」を地域に開いていく過程であったと思います。大津や滋賀県の、様々な現場で役に立つ実践をともに築くことを目途に、少しずつだけれど確実に進んできたように思います。

これまでにもたくさんの先達や同輩の思いのいっぱい詰まった「仕事」を引き継いできました。相談支援や行動障害の処遇もそんな仕事です。そして「地域で支える」仕事が中川さんからの引継ぎつなぐこととして加わりました。

様々に想いが廻ります。残念ながら、これからは一緒にすすめるということは叶わなくなりました。それだから余計に、これからも、しんどいことから目を離さず、必要なことに真摯に取り組む私たちでありたいと考えています。

「誰か」がしなければならない ことであれば
「その誰か」になること
それが福祉の現場の人であること そのものである

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